写し鏡

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「写し鏡」と「映し鏡」でスピリテュアルな意味は、「映し鏡」の方と言うことで、私が、思うに「写し鏡」として話したいと思います。

「写し鏡」と言う言葉を聞いて、自分なりに理解したのは、一般的に「人のふり見て我がふり直せ」とか、「半面教師」とか言いいますが、そのことではなく、人の言動、行動が自分の心に秘めているのと同じだと言う事です。

例えば、相手の人が自分に対して暴言を発した時、その暴言は、自分が相手に対して思っているそのものの思いであり、代わりに、その相手が自分に向かって「お前は、俺に対して、こんなことを思ってるんやぞ。」と言わんとして暴言を吐いているのです。

その言葉を真摯に受け止めて、反省しなければなりませんが、なかなか、人は、素直に受け止めることができません。それどころが、その暴言に対して、暴言を発し、暴力をふるうこともあります。

その状態こそが、写し鏡だと思っています。視覚の事から写し鏡になったのは、目に見えるものは、目に見える対象となるあるゆるものから発せられる自分自身を鏡のごとく写しだし、人生の指針になっているのだと思います。

自分自身を写し出して、日々を反省して、明日に活力を見いだせるために、目に見えるものを肯定的に受け止め、心が透き通るさまを思いうかべて、幸福を感じる事が視覚だと思います。

目に見えるものを感じるには、それを奏でる音を聞くことで幸福を感じるのだと思います。五感のうちの聴覚を次回考えたいと思います。

ありがとうございました。

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